みなさん、読書は好きですか?
僕は好きです。最近はビジネス書や学習本なども読みますが、物語の世界に引き込んでくれる小説を読むのがやはり一番好きですね。
このように本好きをアピールしている僕ではありますが、実は本をよく読むようになったのは大人になってからなんです。
学生の頃は学校の授業と関係のない本を自発的に読むことはほとんどありませんでしたし、読書感想文とかいう宿題が死ぬほど苦手でした。
なぜそうなったのかと元をたどっていくと、小学一年生のときの本の感想文の授業からなんですよね。
そんなどうでもいい話を書きますよ。
「本の感想文」という意味がわからなかった
小学一年生の頃、僕は図書室で本を読むのが嫌いではありませんでした。
たぶん国語の時間だったと思いますが、不定期で図書室へ連れて行ってもらい、その時間は自由に本を選んで読んでいいですよ、というスタイルの授業があったんです。
みんな思い思いの一冊を選んで読んでいて、僕も気に入った本を見つけては楽しく読んでいたものです。
たしか「きっちょむさん」とか「王さま」シリーズ(合ってるかな?)が好きだった記憶。
毎回、楽しく読んでいたのですが、あるとき先生が「本を読んだ感想を書いてみましょう」という提案をしてきました。
本を読んだ後に紙を渡されて、そこに書けってことなんですけど、僕はなにを書いていいのかわからなかったのです。
僕、頭が悪かったわけじゃないと思うんですよ。けど「感想文」がどんなものか理解できなかったんです。先生の話をよく聞いていなかったんでしょうね。
で、結局わからないなりに書いたのが「本のあらすじを解説する文」だったんです。
気に入った箇所のストーリーを先生にも教えてあげたい。そんな気持ちだったのでしょう。こんな風に書いてました。
みたいなやつ。
まぁ感想文ではないですよね。でも自分なりにこの本のおもしろさが先生にも伝わるように書いたつもりだったのです。
ところが、後日返却されたときの先生からのコメントが
だったんです。
「感想文はそうじゃないですよ~」ってことだと思うのですが、「なら、どんなこと書くのが感想文なんだ?」と混乱してしまったのをよく憶えています。
読書感想文は何を書いていいのかわからん!
そんなことがあってから、僕は本の感想文にどんなことを書けばいいのかわからなくなってしまいました。
先生の説明をちゃんと聞いていなかったのがいけなかったのかもしれませんが、「主人公のきもちを書きましょう」とか「感じたことを書きましょう」というのがよくわからない。感想文の例文とかを使ってレクチャーしてくれないとイメージつかめなかったんですよ…。
でもね、本を読むこと自体は人並みに好きでした。
本のストーリーに引き込まれ、もっと読みたいと思う。そして夢中で読み進める。あーおもしろかった、と作品の余韻を感じる。
でも、そのおもしろさをうまく伝えることができない。作者の伝えたいことが本1冊を使って書いてあるんですよ。その作品を自分のつたない文章で2~3枚にまとめて誰かに伝えるなんて小学生の自分には出来なかったんですよ。
このおもしろさを知りたいなら「この本を読んだ方が早いよ!」という感じ。
学年が上がっても読書感想文は必ずどこかで登場してきて、僕を苦しめました。
「感想だから何を書いてもいい」とか言われても「何書けばいいんだ、これ」という感じ。
本は好きなのに感想文が上手に書けない。「本を読むのって、なんか面倒くさいな」というイメージがついていきました。
中学くらいからは本を読む頻度も少なくなりましたね。
読書をほとんどしなくなった高校大学時代
高校・大学では理系を専攻したってこともあって、読書感想文を強制的に求められる機会もなくなり、自発的に本を読むこともなくなってしまいました。
国語の現代文は超苦手でしたね。
まず、物語の文章を読むことができなくなりました。
テストで長文の物語を読んで解答する問題とかは、物語の文章をちゃんと読むことができなくて、設題から回答部分を探しながら読むという邪道スタイルになっていました。
そんなやり方で正しい解答がわかるはずもなく、いつしか国語は苦手科目になってしまいます。
普段から本を読む習慣があれば、もうちょっと国語の成績もよかったのかなぁと思いますが、当時はどうしてよいかわからなかった…。
理科や社会の教科書の文章でさえ読めなくなり、キーワードを暗記する勉強法になっていました。
本は自分とは遠い存在になってましたね。
大人になって読書の楽しさを知る
「社会人なのだから、好きな作家の一人や二人いないの?」という言葉をどこかで目にしました。
当時の僕は、好きな作家と聞かれてもなんて答えていいかわからないくらい本の世界に疎かったのです。
でもなんとなくあこがれていたんですよ、本を読むことに。
あるとき書店でたまたま手にした小説を好きになって、同じ作家の作品をもっと読みたいと思えて、何冊も何冊も読むようになりました。
気が付けばカバンの中には必ず本を入れて持ち歩くようになったし、次はどの本を読もうかと考えたり、最近人気のある書籍を調べたりもするようになってきました。
大人になってからようやく読書の楽しさを知れたという感じでしょうか。
読書のすばらしさを中学高校時代の自分にも教えてあげたいですよ。ほんとうに。
読書感想文に正解を求めなくていいのでは?
読書感想文も悪くはないと思うんですよ。
本の内容を理解してまとめる力や、それに対する自分の感想や考えを表現する力を高めるという意味では大事な学習要素がありますもんね。
インプットした内容を自分の中でまとめてアウトプットするということは、社会に出てからも役に立つスキルだとは思います。
でもまぁ、「感想文だから好きなこと書いて良い」はずなのに「すごくおもしろかった。また読みたい」だとダメで、詳細を具体的にまとめて素晴らしい内容を書いた人が評価されるってのはどうかと思うんですよね。
もう、評価とか、この感想は良い悪いとかなしにしません?
僕の場合、本でも映画でもそうなんですけど、作品を読み終えた(観終わった)あと、感想を教えてくださいと言われてもパッと表現できないんですよね。大人になっても、ですよ。
「このシーンがよかった、おもしろかった」とかはあるけど、全体をまとめてうまく言葉で表せない。評価される感想を書くために読んでいる(観ている)わけではないですし、感想のために読んで(観て)いたなら作品に集中できなくなっちゃいそうです。
でもその作品は大好きで何回でも読みたいと思うし、作家や作品の背景について知りたいと思ったりする。
だから、「読書」と「感想文で表現力を評価する」というのは切り離した方がいいような気がします。
表現する力を学習させたいなら、本以外でも学習できる教材ってあるでしょ?
本、音楽、映画なんかは好きなように読んだり聴いたり観たりして感じてもらったらいいのではないでしょうか。感受性が豊かな幼少期にこそたくさんの作品に触れて好きになってほしいです。
別に、読書感想文をやらせる学校が悪いとか、先生の教え方が悪いというわけではないと思います。長年に渡ってしみついてるんですよ、「読書感想文はこういうもの」という考えが。
読書はもっと自由に、もっと楽しいものであってほしいです。
さいごに
読書感想文が苦手だったというお話でした。
感想文が好きだったという話をあんまり聞いたことがないので、きっと苦手だった方は多いのではないでしょうか?
長々と書きましたけど、本が好きだからと言って読書感想文が上手なわけではないし、読書感想文が書けなくても本からたくさんのことを感じたり学んだりしているのです。
感想がうまく書けないからという理由で本を読むことが嫌いになる子供がいなくなることを願っています。