こんにちは、ニィです。
突然ですが、みなさんは宗教ってやってますか?
あまりピンとこない方も多いでしょうし、「いやいや、わたしは無宗教だから」という方もいらっしゃるかもしれません。
僕の実家は仏壇があって神棚もあるという家です。小さい頃からそれが当たり前で、べつに「宗教をやっている」「信仰している」という感覚になったことはありませんでした。
僕と同じような感覚の方も結構いらっしゃるのではないかと思うのです。
そんな感じで平和に生きてきた僕ですが、大人になってからこれまでいろんな宗派の方に誘われまくってきました。
仏教系・キリスト教系などさまざまな方から熱心に誘われた結果、その方のお宅を訪問したり、施設やイベントへ行ったり、洗礼まで受けたり(!)してきました。
そんな僕が思うのは「宗教がなくても生きることはできるが、なにか信仰があると違う生き方も見えてくる」ということ。
この記事では、こういった宗教の勧誘に誘われて行った結果こんな感じだったよという体験談と感じたことをなるべく堅苦しくならないように書きます。(かなり長文になりました)
この記事は宗教や信仰観について書いていますが、特定の団体について勧めたり、批判したり、教義を比較したりするものではありません。
なんでこんなに勧誘されるの?
世の中にはたくさんの人がいるのに、なんで僕だけが宗教関連の勧誘に縁があるのかと不思議に思うことがあります。
僕の基本的なポリシーに、熱い誘いはなるべく断らないというものがあります。
ほぼ初対面の僕に対して、こうも熱心に誘うからにはそれなりの事情があるはずです(誘いを断れないだけじゃ…)
今でも自宅へ定期的に訪問してくれて、ありがたい御言葉をくださる方もいらっしゃいます。僕、誘われやすいオーラを出してるんでしょうね。
数えてみると、学生時代から大きく5つの宗派の方々とそれぞれ交流する機会がありました。
何度か交流したけど今はもう完全に連絡のない方もいれば、今でもたまに交流がある方もいらっしゃいます。
ここでは具体名を出さずにご紹介していきます(わかっちゃいそうですが…)
B会 仏教系 仕事で契約したお客さんから誘われる
C教会 キリスト教系 仕事で教会へ行ったら洗礼を受ける
D教会 キリスト教系 歩いていたら誘われる
E教会 キリスト教系 駅で立っていたら誘われる
A会(仏教系)の場合
A会の印象はこんな感じです。
- 基本的にみんな真面目
- 施設は広くて、人もたくさんいた
- イベントごとが多い
こちらは仏教系の団体なのですが、別々のタイミングで2人から誘われたことがあります。
テレビなどで評論家・コメンテーターとしても有名な方が登壇するということで参加したら、主催がA会の方でした。
イベント後に男性数名と仲良くなって、何度かごはんを食べに行ったり、友人宅や上長のご家庭へ訪問したりしました。
ほかにも、ベートーベンの「第九」の合唱イベントに誘われたり、選挙の投票に誘われたりと熱心に勧誘されましたね。
・・・
2回目は、友人つたいで仲良くなった方から団体施設へ誘われ、公開イベントみたいなものに参加しました。
誘ってくれた彼は、普段は教団職員として働くエリートくんでした。
すごく広い会館に老若男女が集まって、ビデオメッセージ集みたいのを観た後、お経を唱えるという謎イベント。
イベント後に僕の人生について上長らしき人が相談に乗ってくれたのですが、初対面なのにズバズバ注意されまくってしんどかったですね。
それ以降交流は途絶えました。
2つの例を通して感じたのは、A会の方々はみんな真面目だということ。
それぞれ仕事や将来などへの不安はあっても、それを自分の信仰心と仲間の助けで乗り越えていこうという前向きな方が多かった印象です。
施設へ行くと、どっから来たんだってくらい人がわんさかいて、かわいい女の子とかコワモテの兄ちゃんとか、子供からご老人までいて驚いたものです。
とても印象的だったのは、他宗派に対してすごく厳しい反応をしていたというところ。「打倒、○○○!」みたいな横断幕がかかってましたね。
B会(仏教系)の場合
B会の印象はこんな感じ。
- ちょっと強引
- いきなり信者になった
- アフターケアが悪い
こちらも仏教系の団体なのですが、ちょっとマイナスなイメージしかしなかったですね。
これ系の話は展開がわかっていたのですが、契約してくれたお客さんだからと一緒に車を走らせて施設へ直行。
受付でいきなり入会願書みたいのを書かされることになって「え!?」って思ったのですが、おばさんがすごく勧めるから仕方なく記載。
数珠や経本も買わされそうになって渋っていたら「仕方ないわね、わたしが出してあげるわ」みたいな感じでおばさんのお金で購入。
その後、広間に連れていかれ、集まった10人ほど(老若男女)のメンバーに囲まれながら、ロウソクの明かりをつけてお経をひたすら唱えるという怪しい儀式が開催されました(入信の儀らしい)
儀式後に、集まった方々から「おめでとう」「おめでとう」「おめでとうございます」と声を掛けられるというエヴァンゲリオン的な展開に…。それで、めでたく僕は信者になったらしいです。
とりあえず、強引にすべて進めらた感じでしたね。
その後、まったく施設へ行かなかったら、おばさんから電話があって「あんた全然来ないじゃない」みたいになって喧嘩別れになりました。
「普通、誘われなければ行かないでしょ?」と思うのですが…。
仕事の案件も解約されたし、心身ともに疲れましたね。
C教会(キリスト教系)の場合
C教会の印象はこんな感じ。
- ザ・教会という感じの建物
- 神父さんが神がかっている
- 真冬に屋外プールで洗礼!
こちらも営業の仕事で訪問したのですが、個人宅がキリスト教会のお宅。建物は小さいながらも礼拝堂のある立派な教会でした。
パンツ一丁になって屋外にある小さなプールに入れとのこと。
プールは聖水で満たされおり、そこで祈祷を捧げてもらえば洗礼を受けたことになる模様。
季節は冬。雪がしんしんと降る寒い日でした。少し悩みました。
準備された純白のパンツに着替え、ガウンをまとって神父さんと雪の中へ行き、ガウンを脱いで聖水の中へ…。
おそらく数秒間の入水でしたが、寒くて本気で死にそうになりましたよ、マジで! 震えが止まらなかった。
途中で限界になって出ようとすると、神父さんが「祈祷が終わるまで待て」みたいな様子で頭を押さえ付けるんですよ。
洗礼後、泣きそうな顔で着替えてストーブで暖まりながら髪を乾かしていると、奥さんが「あんた、まさかやるとは思わなかったわ。今まで何人もの営業の人が来たけど、誰一人やらなかったわよ!」と称賛され契約してもらいました。
息子さんが神父見習いで祈祷を捧げてくれたのですが、「愛する天の御父様…」から始まって、途中から盛り上がってきて「ダーライ、アーライ、ア~~……」みたいな何語かわからない呪文を唱え始めるんですよ。
聞いてみると「天から自然に預かった言葉なのでわたしにもよくわからないんですよ」とのこと。神がそこに舞い降りていたのでしょうか。
洗礼も受けたし、僕も晴れてクリスチャン的な精神に通じたわけです。不思議な世界でした。
洗礼の形式は各宗派によって異なります。
D教会(キリスト教系)の場合
D教会の印象はこんな感じ。
- メンバーは気さくで真面目
- 教えがうまく体系化されている
- 勧誘は押しが強め
メンバーの皆さんはすごく親しみやすくて、真面目な雰囲気。
グループの説明を受けて交流しているうちに、なぜか聖書ベースの講座が始まりました。
なんだこれ、と思いつつも当時の僕は聖書にも興味があったので素直に聞いてたんです。その後、イベントや講座の回を重ねていくうちに気が付けばメンバーになっていました。
講座の内容はキリスト教会の教えに通じるものがあるのですが、非常にうまく体系化されているなと感じました。
ただ単に「神様、イエス様、はは~(ひれ伏す)」のような感じではなく、教義について細かく理解できるように説明してくれました。この点は他の団体よりは丁寧でしたね。
おかげで、キリスト教的な考え方・価値観に共感できるようになってしまいました。そうなった自分は嫌いではありません。
E教会(キリスト教系)の場合
E教会の印象はこんな感じ。
- 若者が超多くてごった返してる
- 礼拝は演劇とかバンド演奏とか現代的
- 勧誘のプッシュは弱め
後日、教会へ連れていかれると、そこは普通のビル。以前、学習塾だったところを改装して教会にしたそうです。
礼拝というと、讃美歌があって牧師さんの説教があるイメージでしたが、新規向けの歓迎礼拝ということで、ちょっとベタな演劇と讃美歌をアレンジしたようなバンド演奏がありました。
その後でイメージ通りの讃美歌や説教がある感じ。
僕と同じような新規の参加者もかなりいて、伝道が活発な教会だなと思いました。
2~3回足を運びましたが、その後だんだん声を掛けられなくなり行きづらくなってしまいました。
男女問わずとにかく若者が多くて、どこから来たんだ? と不思議なくらいごったがえしてましたね。
一方で、勧誘の押しが弱い!
せっかく誘ったんだからもう少しプッシュしてまた来るように勧めたり、教えを学ばせたりしてくれればいいのに、そういうアプローチはまるでなし。
こちらもその気になってたのに、誘いの電話がないので行かなくなりました。見込みなしと思われちゃったんですかね? さみしい。
人生に宗教は必要なの?
まぁ、こんな感じで今までいろんな宗派の方々と交流してきたわけです。
結局、人生に宗教は必要なのかというと僕の感想はこうです。
のではないかということ。
信仰あるなしに関わらず誰でも生きることはできるんですよ。でも違うのは、
- 挫折した時の立ち直り方が違う
- 夢や目標に対する進み方が違う
という感じでしょうか。
挫折した時の立ち直り方が違う
挫折して人生の岐路に立ったとき、普通は一人で悩むか家族や友人に悩みを打ち明けたり助けを求めたりすると思います。
なにか信仰を持っている人はどうかというと、さらに引き出しが1つ多いんですよね。信仰の対象となる神様・仏様に対しても相談することができるんですよ。
「はぁぁ?? なにそれ??」
ちょっと何言っているかわからないですよね?
方法は祈祷だったり読経だったりいろいろあると思うのですが、それを通して神様・仏様と対話し、自分自身の心を整理したり、前進していく力に替えることができるというイメージ。
この辺は感覚的なものでしょうし、実際に信仰している方でないと実感できないところだとは思います(僕もわかるようで、よくわからん)
夢や目標に対する進み方が違う
それから、夢や目標に対しての考え方も違う感じがしました。
夢や目標が自分のためじゃなくて、誰かの幸せのためだったり、国家のためだったりするんですよ。
「夢はアフリカの○○という国に学校を作ること」とか「悩んでいる人を助けたいという思いから、心理カウンセラーになった」という方もいました。
まぁ、全員が全員そんな模範的な回答ではないと思いますけど、少なくとも僕よりは"清い心"を持っている人がいるんだなぁと感心しましたよ。
それぞれの教えが絶対的に正しい答えを教えてくれているので、自分の信念がブレないのだと思います。
他人に左右されず、自分の信じた道を突き進めるっていう感じでしょうか。
世界的には宗教は一般的
日本では宗教というとマイナスのイメージが強いですが、海外では一般的で生活に根差したものです。
有名な実業家が熱心なキリスト教徒やユダヤ教徒だったなんていう成功談は山のようにありますよね。
日本の場合は、過去のいろんな事件から宗教を極端に嫌がる人たちが多いんですよ。メディアも叩きますし。
でも実は、自分が知らないだけで回りの人は何かしらの信仰を持っている人が多いのではないかと感じています(僕が声掛けられすぎなんだよ!)
さいごに
そんな感じで、僕の宗教に対する考えを長々と語ってみました。
僕が宗教に対してポジティブに捉えるようになったこと自体を「怖い…」と感じる方もいらっしゃるかもしれません。
いろんな人に出会って、それぞれの考え方を知ったり、自分も考えたりしたんですよ。
僕個人のことですが、僕はクリスチャン的な考えの方がスッと入るタイプのようです。
現時点で僕は、特定の宗教だけをひいきするような立場には立っていません。かと言って、批判したり避けるというのも違うと思います。
神はいるのか? その問いの答えは難しいです。
人間の心と体は本当によくできていると思うし、自然やさまざまな現象をみても、その仕組みは偶然とは思えないほどうまく設計されていると感じます。
神様のことを今後の人生でどれだけ感じることができるかで、僕も宗教をより必要に思うことができるのでしょう。
この記事を書いた目的は、みんな宗教やった方がいいよっていう勧誘ではなくて、そういう考え方・生き方をしている人もたくさんいて、なぜか僕は誘われまくってるってことを言いたかっただけです。
すこし堅苦しくなってきたので、この辺で。